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当初「樂茶碗」は「今焼茶碗」とよばれた。 「今焼」つまり“Art now”、見たこともない前衛的な茶碗。

樂焼の名称

…なぜ樂焼ってよばれるの?

 これまでの焼物とはまったく異なる方法論と技術によって導かれた樂焼。しかし、利休や長次郎が生きていた時代は、まだ「樂焼」という名はありませんでした。この新しく生まれた茶碗は当初「今焼」と呼称されました。今焼かれた茶碗、新しい茶碗、まさに"Art now"。当時として前衛的な茶碗でした。
樂家が秀吉が建てた「聚楽第」近くに居を構えていたこと、また長次郎の樂茶碗は、聚楽第に屋敷をもつ千利休の手を経て世に出されたことなどから、この焼物が後に「聚樂焼き茶碗」と呼ばれるようになり、やがて「樂焼」「樂茶碗」と称されるようになりました。また豊臣秀吉から「樂」の印字を賜わったとされています。いずれにせよ「聚樂焼き」の「聚樂」とは秀吉によって造営され、時代のシンボルともいうべき建築「聚樂第」のことであり、樂焼の「樂」とは「聚楽第」の焼物として、その一字を取って「樂」とされたと考えられます。
 以来「樂」は樂家の姓となりましたが、ある陶家の姓が焼物の呼称となって伝えられている例は当時において他にありません。今日、樂焼は陶芸の一分野として広く海外にまで普及していますが、当初は利休と長次郎によってはじめられたところの樂家一族の焼物を指して呼称されたのでした。

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